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若衆歌舞伎図
江戸時代 寛文頃

紙本着色
本紙縦65・9cm 横53.5cm


若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図 出光美術館

若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図


若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図

若衆歌舞伎図 若衆歌舞伎図
若衆歌舞伎とは、江戸時代前期、前髪のある眉目秀麗な美少年の舞踊を中心とした歌舞伎で1629年遊女歌舞伎が全面的に禁止されて後、盛んに行われた。それまでの女歌舞伎にくらべて能や舞狂言、軽業芸を取り入れたとされる。三代将軍徳川家光をはじめ大名、旗本等の貴官や一般大衆に支持され広く受け入れられた。実際にはそれ以前の阿国歌舞伎時代から美童が諸芸を披露する見世物が人気を呈していたようである。しかし1652年に男色問題、刃傷事件等による数々の弊害から幕府によって禁止され前髪を落とした野郎歌舞伎へと移行していった。
本図は「茶屋遊び」の狂言を進化させた豪華な総踊りの場面とみられる。静嘉堂蔵「四条河原遊楽図」の遊女歌舞伎の図と人数、構図、ポーズがほぼ同一である。同種のものは他にも東京国立博物館の「四条河原図屏風」、愛知県西尾市の文化財に指定されている「四条河原遊楽図屏風」がある。
なお本図は学習院大学名誉教授である諏訪春雄氏の「絵画資料に見る初期歌舞伎の芸態―若衆歌舞伎―」(『国語と国文学』1973年)、「トランスジェンダー(性別越境)観の変容、近世から近代へ 女性学連続講演会」三橋順子氏 に絵画資料として取り上げられている。
出光美術館旧蔵品。「出光美術館蔵品図録 風俗画」所載